《自己紹介》
はじめまして。気功霊能師の松林です。(1969年生まれ・千葉県在住)
私は修験道系の寺院で約一年間過ごし得度して、高野山本山から度牒を賜りました。その間、霊や魂について深く学び、敬意を持つようになりました。寺院下山後は、外気功の達人のもとで遠隔気功などの修行を重ね、独立を許されました。
気功師として活動を始めると、霊的な感覚が開花し、ご相談者に憑く多くの霊魂の声を聞くようになりました。やがて高級霊に導かれ、浄霊もできるようになりました。
それから人に憑く霊魂の浄霊浄化だけでなく、神霊の浄霊浄化も行うようになりました。神社の祭神や龍神などの神霊がこの世での務めを終え、救いを求めていることを感じ取ったためです。
神霊に呼ばれて全国の神社仏閣や史跡を訪ね歩き、浄霊浄化を行うようになりました。今ではインターネットの地図衛星画像を使い、現地に行かずに浄霊浄化を行っています。
ご相談者・対象者にも直接お会いはせずに、地図衛星画像や写真を使って霊体や魂の波動を特定し、遠隔で浄霊浄化を行っています。
これまで20年ほどの経験を積み、多くの方の霊的な問題に対応してきました。浄霊浄化を通して、魂の安らぎと浄化のお手伝いをしています。どうぞ安心してご相談ください。
※本ページは霊的な体験をもとに記述しております。内容には霊的な概念や独特の表現が含まれますが、体験の真実性を尊重し、誠実にお伝えしています。初めてご覧になる方も安心してお読みいただけますよう、ご理解のほどお願いいたします。
霊能師としての歩み
1. はじめに:療法院での気功療法から霊能の目覚めへ
以前は都内で外気功を主軸とした療法院を開院し、主に肉体の不調を診ていました。氣の観点から悪い部分を見つめ、氣の交流を通じて身体の自然治癒力を高め、細胞全体を活性化する施術を行っていました。実際に、病院で治らなかった方が気功療法で改善し、医師から驚かれたこともありました。
遠隔気功では、離れた場所に住む方に対し、お預かりした写真を使って氣を送り、病気の改善を求めていました。対面施術と同様に、遠隔気功でも改善が認められました。
ある日、療法院内で遠隔気功を行っていた際、突然頭上から真っ白な光が降り注ぎ、別世界にいるような心地よさと幸福感に包まれました。その時、はるか天上から響く声で「神ではない」と告げられ、その声の主は「高級霊」と名乗りました。この出会いが私の霊魂に対する見方を大きく変えるきっかけとなりました。
2. 初めての霊的体験と葛藤
療法院を営んでいた頃、施術中に突然「強い否定的な言葉」が連続して聞こえてきました。まるで人を呪うようなその言葉の出どころははっきりせず、当初は自分の思考かと疑いました。しかし、患者が来院するたびにその声は続き、私はその言葉を止めさせる方法を模索し始めました。
やがて、その声は患者本人の思考ではなく、その患者に憑く霊魂からのものであると気づきました。霊魂は絶え間なく呪う言葉を繰り返し、患者の精神を乱していたのです。患者には幻聴としては聞こえなくても、その波動により落ち着かない状態になっていました。
しかし当時の私は、霊的な対処法を知らず、何もできない自分に深いジレンマを感じていました。見えない存在が患者に影響を与えているのに、それを止められないもどかしさと葛藤の中、私は祈りを始めました。
「どうか私に霊魂に対する術を授けてください。どんな修行も受け入れます。」と。人を救うためには逃げずに向き合わなければならないと、強い意志が芽生えた瞬間でした。
3. 守護霊との交信と浄霊の始まり
その後、守護霊の思いが私の心に投影されていることに気づきました。逃げてはいけないという強い気持ちが、霊魂への問いかけを可能にし、霊魂と通じ合う第一歩となったのです。
ある時、患者に憑く霊魂に問いかけました。「なぜこの人に強い否定的な言葉を言い続けるのか?」
すると霊魂は答えました。
「我々に話ができるのか?」
私はさらに問いただしました。「教えてほしい。なぜその言葉を言い続けるのか説明してほしい。」
霊魂は語りました。
「我々はお前が生まれる前に人として生きていた。皆が幸せに暮らしていたが、ある日、村に奴らがやって来た。奴らは食べ物や女性を要求し、逆らう者は皆殺された。この者の先祖の一人が奴らの一味だった。その思いをこの者に感じるため、恨み殺そうとしている。」
その話は作り話とは思えず、私は深い悲しみを感じました。患者を救いたい一心で、憑く霊魂に向けて不動明王の真言を唱えましたが、霊魂は「無駄だ。我々には効かない」と返しました。
真言を唱え続けても霊魂の強い否定的な言葉は止まず、私は手応えを感じられずにいました。
4. 葛藤と新たな導き
なぜ効かないのかと悩む私に、再び霊魂から声が聞こえました。
「人間がすることは我々には効かない。」
戸惑いながらも、般若心経を唱えましたが、霊魂は「そんなもの、役にも立たない」と返しました。連呼は止まず、何をすればよいのか分からず、疲れを感じていました。
しかし、ある日、静かな声が心に響きました。
「そろそろ気付かなければならない。仏のやり方では全てに対処できない。我々の声に意識を向けなさい。」
その言葉に従い、守護霊の算段通りに動くよう告げられました。高級霊とは異なる声でしたが、私は素直に受け入れました。
5. 守護霊の導きに身を委ねて
後日、その患者が再度施術を受けにきた時、不思議と私は守護霊の算段通りに身を委ねることにしました。何をすればよいのか分からないまま、身体の力を抜き、何も考えずにいると、自然と身体が動き出し、強い否定的な言葉を繰り返す霊魂に対するアプローチが始まりました。
私の場合、術を本や人から教わったのではなく、守護霊を通して自然に動かされている状態でした。そのため、他人に術を教えることはできませんが、私は守護霊の媒体として動いているのです。
強い否定的な言葉を繰り返す霊魂に対しては、私の代わりに背後霊が話を始めました。背後霊は守護霊から派遣された存在で、説得役を担っていました。私は頭の中でその会話を聞く第三者のような感覚でいました。
やがて、暗闇の中で複数の霊魂が入れ替わり話しているビジョンが浮かびました。一体だけでなく、何体もの霊魂が交代で話していたのです。
このような体験を公表するのは怖さもありますが、この経験が患者の話を軽視せず、どんな話でも真正面から受け止める姿勢を生みました。
6. 霊的アプローチの成功と守護霊との関係
強い否定的な言葉を繰り返す霊魂は、背後霊の説得により心を入れ替え、救う立場として生まれ変わることに賛同しました。その結果、その患者から離れ、天界へと導かれました。これが私にとって初めて実感できた霊的アプローチ、浄霊の成功体験でした。
その後、患者からは強い否定的な言葉が聞こえなくなり、患者の抱えていた動悸も不思議と治まりました。
幼い頃から守護霊の存在は知っていました。心霊ブームの時代、兄が持っていた漫画『うしろの百太郎』の読み聞かせを通じて、守護霊が人を見守る存在であることを素直に受け入れていました。
中学生の頃には連日の金縛りに悩まされ、守護霊に助けを求める祈りを続けることで、金縛りの恐怖を和らげることができました。見えない守護霊の存在を信じることで、心の支えとなっていたのです。
7. 魂の多様性と救済の視点
人の魂は一つではなく、複雑な種別と数多くの魂が存在していることがわかってきました。前世の記憶を持たない魂や、肉体に同化した魂、人間とは異なる魂、そして特定の年齢で表面化して性格の一部となる魂など、多種多様です。
さらに、魂は人間だけでなく、樹木や動物、魚、虫、両生類、爬虫類などあらゆる生物に宿っています。驚くべきことに、鉱物や石にも魂が存在すると感じられます。
このように、ありとあらゆるものに魂が宿ることを理解することで、物を大切にする気持ちが自然と生まれてくるのです。
8. 魂の広がりと宇宙的視点
物に感謝の気持ちを添えることは昔から人々が行ってきました。現代ではその心が希薄になりがちですが、忘れてはならない大切な習慣だと私は考えています。
魂は地球上のかつての生き物から現代の私たちまで、繰り返し人間に降りてきており、身体の部位は異なっても当時の状態を記憶していることがあります。例えば、恐竜の魂が人に降りていることや、原始人の記憶を持つ魂も存在しています。
さらに視野を広げると、宇宙にまで魂の存在は及びます。地球外生命体や天体、流星や彗星の塵にも魂が宿っているのです。
このように魂は想像を超えた世界と次元にまで広がっており、生きている人間だけでなく、亡くなった人の魂も含めて存在しています。
私は生きている人の魂の一部、亡くなった人の魂の一部と交信し、魂の救済を行っています。生きている人の魂が苦しむと、その人自身も苦しむため、魂の救いは心身の安定にもつながります。
9. 霊能としての使命と今後の展望
私の霊能の歩みは、様々な霊魂や魂との出会いと対話を通じて深まりました。守護霊や背後霊の導きに従い、ご相談者の魂の苦しみを和らげることが私の使命だと感じています。
今後も、これまでの経験を活かし、どのような話でも真正面から受け止め、ご相談者一人ひとりの心と魂に寄り添う施術を続けていきます。
また、魂の多様性や宇宙的な広がりを理解し、物や命への感謝の気持ちを大切にしながら、より多くの方々の心身の安らぎに貢献したいと思っています。
この体験談が、霊的な世界に関心を持つ方々にとって、理解と共感の一助となれば幸いです。
【1】霊能師としての始まり
私がこの仕事に就いたのは、プロフィールページ内の「霊能師としての歩み」にある通りですが、霊魂(オバケ)をはっきり見たのはお寺での修行時代のことでした。
そこから私のこの道が始まったと考えています。
当時は浄霊浄化の技術もなく、霊魂のこともよくわからず、怖い存在だと思っていました。
それは、お寺で怖い体験をしたからです。
その体験について、以下にお話しします。
【2】入山と初めての霊体験
30代半ば、修行中心の寺院へ入山しました。
それまではサラリーマン生活を送っていましたが、母の死をきっかけに会社を辞め、お寺で供養しようと決めたのです。
お寺のことは詳しく知らず、般若心経を暗記して髪を伸ばしたまま入山しましたが、すぐに髪を剃り、見習いの入門生として働き始めました。
間もなく、無縁仏の墓所近くで黒っぽく油性ペンでぐるぐるっと塗りつぶしたような霊体を見かけるようになりました。
それは動かず、私が経文を唱えると斜め後ろからじっと見ているのが感じられましたが、正面を向くと消えてしまいました。
先輩僧侶からは「気づいても気づかぬふりをしなさい」と教えられました。
【3】中学生時代の金縛りと霊の姿
中学生の頃は、よく金縛りに遭いましたが、霊体の姿をはっきり見たことはありませんでした。
ただ、顔だけの動物のような姿が口を大きく開き、裂けたような形で向かってくるのを見たことがあります。
その時はとても怖くて、金縛りのままそのまま眠ってしまいました。
一方で無縁仏墓所の近くにいた、黒いモクモクとした、あるいはグルグルと渦巻くような黒っぽい煙のような姿が一体何者なのか、ずっと疑問に思っていました。
しかし、そのグルグルとした黒っぽいおばけ(?)は、いつの間にか見かけなくなりました。
ある時期を境にその姿を見なくなったのです。理由はわかりません。
もしかすると、見えなくなっただけで存在していたのかもしれません。
しかし、あのゾワゾワする感覚がなくなったことから、おそらくはその場から移動したか、消えてしまったのだと思います。
こうした経験から、私はおばけは確かに存在すると考えるようになり、色々な姿のものがいるのだと思うようになりました。
【4】空中を移動する霊の姿
寺院へ入山して間もない頃、宿舎の2階で不思議な男性の姿を見かけました。
白衣を着たその男性は館の外にいて、窓の外を歩いているように見えました。
しかし、窓の外には足場がなく、彼は空中を水平に移動していたのです。
私は屋内から窓越しにその様子をじっと見ていました。
霊感のある先輩の僧侶に尋ねると、
「あれはここで修行していた人で、生きていない人だよ」と教えてくれました。
「見たんだね。でも他に知っている人がいないから、言わないように」とも言われました。
その時、私はなぜか「そうか、修行者だったんだ」と納得しました。
その霊の姿を見たものの、襲われることもなく、金縛りに遭うこともありませんでした。
【5】裸足の足だけの霊と雨風の夜の足音
ある時、護摩祈祷の時間を終えて、私が寝泊まりしている館に戻った際のことです。
玄関の中の廊下で、何者かが歩いている姿を見ました。
夕方でまだ明るかったと記憶しています。
その姿は裸足で、つま先からすね辺りまでしか見えず、その上は何もありませんでした。
「あれっ!?」と思い、急いで館の玄関内に入り、その裸足で歩く存在を追いかけました。
しかし、すぐに姿は消えてしまいました。
裸足が歩いていた先はドアで、外に出られる場所でした。
ドアを開けて外の路地を確認しましたが、誰もいませんでした。
おばけは足がないはずと思っていたので、不思議に感じました。
【6】足音が近づく緊迫の瞬間
その後、最も強烈な体験は雨風が激しい夜のことでした。
その日は若い僧侶が宿舎にしている館に私一人だけで、節電のため要所の電気を消していました。
館全体が暗い空間になっていました。
時間は20時を過ぎた頃、館の2階の部屋にいた私は、1階で誰かが歩いている気配に気づきました。
音です。
ヒタヒタやスタスタという静かな足音ではなく、しっかりとした足の踏み方で、男性がのしのし歩いているように聞こえました。
私は「誰かが予定より早く帰ってきたのかな」と思いました。
しかし、何かがおかしいと感じました。
音の雰囲気が明らかに違い、私の中に「これは怪しい」と感じる気持ちがありました。
当時の私はすでに霊波動を感じ取る能力があったのか、1階から2階へと階段を登ってくる足音に耳を澄ませていました。
階段には滑り止めと音が響かないように薄いカーペットのような生地が敷かれていましたが、それでも足音ははっきり聞こえてきました。
足音は2階に到着すると一旦止まり、次に私のいる廊下の奥の部屋へ向かうようでした。
1階から2階へ上がるとすぐに畳敷きの大きな部屋がありますが、その畳の上を歩く音はせず、板の廊下を歩く音だけが聞こえました。
私は「来る!」と確信しました。
1歩、2歩と歩みが近づき、音は大きくなっていきます。
まるで「ここへ行くぞ!」と意志を持って歩いているかのようでした。
ついに私のいる部屋のふすまの前まで足音は到達し、そこで止まりました。
緊張は最高潮に達しました。
怖くて「ノウマクサンマンダー」と不動明王の真言を小さく唱えていましたが、戸のすぐ向こうにいる何者かに勇気を振り絞り、思い切ってふすまをガーッと左に開けました。
【7】誰もいなかった不思議な静寂
ふすまを開けると、不思議なことに誰もいませんでした。
確かに何かがいると感じていたのですが、その場には誰もいなかったのです。
戸から顔を出して廊下を見渡し、階段の方を眺めましたが、誰も歩いていませんでした。
その距離は、人が一瞬で階段へ移動できるほど近くはありません。
私は少し放心状態になりましたが、それ以上のことは起こらず、その歩く音も二度と聞くことはありませんでした。
私がいたのは修行寺で炎の大きい護摩祈祷が盛んで、修行中に亡くなった方もいらっしゃいました。
命がけの行なので、修行に対し熱心に取り組んでらした修行者だったのでしょう。
昔は霊能力に長けた方もいたそうです。
そのため、霊能力を求めて通う人や、病気を治すために修行に来る人も多かったようです。
【8】山の神社での霊的な体験
霊感のある先輩僧侶と共に、その寺院が山岳信仰の霊場としている山の神社に夜遅くにお参りに行ったことが何度かあります。
一番最初に訪れた時、拝殿内で先輩が祝詞を上げていると、外からヒソヒソとした声が聞こえてきました。
「こんな夜遅くに誰が来たのだろう?」と思っていると、先輩は「確かめに来たようだね。でも気にしなくていいよ」と言い、いつものことだから心配ないと教えてくれました。
念のため拝殿の戸を開けて外を確認しましたが、誰もいませんでした。
先輩はこう話してくれました。
「昔は行者さんたちがここに集まり、夜通し祝詞を上げたりお経を読んだりしていたんだ。石灯籠には寄進した行者さんの名前が刻まれているよ。彼らが来たんだよ。」
つまり、もう生きてはいない方たちが、自分たちが大切にしていた神社の様子を見に来ていたのです。
姿は見えませんでしたが、私たちは頭を下げて礼をし、神社を後にした体験でした。
【9】経験を経て歩んだ道
これまでに、日々の護摩供養やお寺の公務では脇導師としてお葬式(お通夜、告別式)、埋骨のお手伝いをしてきました。
また、医薬系会社や病院、パチンコ店、植物園、石橋の撤去現場などでお祓いを行い、五つも井戸がある大きな個人宅の屋敷祓いにも伺ったことがあります。
こうした経験と環境が故人の霊やよくない影響を持つ存在に対して、受け入れる感覚を私に育んでくれたのだと思います。
もしこのような経験をしていなければ、私は霊という存在を怖い対象としか見なかったでしょうし、霊に携わる仕事(職種)を否定的に捉えていたかもしれません。
経験を通じて理解に至らなければ、誰でもそう考えるのではないでしょうか。
寺院での修行時代に霊を身近に感じながら、徐々に「霊がいてもおかしくない」と思うようになりました。
そして今では、言葉を超えた“交信”という形で霊と対話し、成仏の先にある浄化までサポートできるようになりました。
気づけば、この道を自然と歩んできたのだと感じています。