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【 魂が語る浄霊浄化の記録―光と闇の一点へ 】
「私は人間です。目を覚まし、気づいたら、体が宙に浮き、どんどんと地上から離れていきました。気づいたら、空高く舞い上がっていて、一瞬で暗い空間に来てしまった。
暗い空間では誰もいなくて、何をしていいかわかりませんでした。そこにいれば疲れることもなくお腹が空くこともありませんでした。ただ、時間が過ぎるのですが、時間がどれほど経っているのかはわかりません。
そこにいれば、ただいることのつらさがなかったです。普段であればただいることが退屈になり何かをしたくなるのですが、何をしようかと思うことはなくなりました。考えが浮かばないのです。
あれだけ様々な思いが頭を巡っていたのにそれがありません。すっきりともしていないのですが、何も頭に浮かばず、ただそこで動きがない自分と向き合うのです。
そのような時を経て、今は白い空間に移動しました。ここは気持ちがいいです。心が温かくなります。誰もいませんが、さびしくはありません。お腹も減りません。ずっとここにいたいと思います。
何だか、思い出せることが何一つなく、何をしてきたのか覚えていません。頭の片隅にわずかに思いがあります。その思いは人であり、その時に事故を起こし、そこからどうなったのかわかりません。
死んだ?そうか、車というものを運転して壁にぶつかってその衝撃で首の骨を折り、死んだんだ・・・。そうか、なぜか今そのことが頭に巡ってくる。私は死にました。それでここに来ているのです。
あぁ、でも他が思い出せない。何かあったと思うのですが、思い出せない。思い出さないほうがいいのかもしれない。
こうして私の話を聞いてもらえるあなたは何者ですか?どうして誰もいない空間にあなたの声が聞こえるのだろう。そして勝手に話したくなり、あなたかわからなかったが、話し出して、あなたが答えてくれた。「話してください」とあなたの声、それが聞こえた。私は勝手に話した。なぜかわからない。
(数秒ほど経って)・・・体が軽くなってくる。見えない、自分の体が見えない。自分が、手もない。さわれない。声・・・、声だけが頭に。そうか、これが意識か。もう体がなくなってついに意識だけになってしまった。
どこだ、すごい光り、流れる光りが周りを走っている。どこに行くんだ?私はどこへ向かっている!?わからない。言葉で説明できない。光りがあり、闇が同じほどある。そして、屈折して光りが泳いでいる。
何だ、私は誰だ。何が・・・、いや、私は誰でもない。誰という、それはもう必要ない。
何だ!?何か動いている気がする。吸い込まれる。光りが、闇が吸い込まれる。一緒に吸い込まれるー。
(ここで、先ほどの声が変わり、幼い声に変わって聞こえる)人間の状態から無垢の状態に変わりました。」という魂との交信内容を記載しました。
交通事故で亡くなった方を浄霊浄化した時の内容です。ここまで鮮明に始めから無垢の状態に移行するまでの状況を知らされることはほぼなく、珍しいケースなのでお知らせしました。
【草と動物種の訴え】
人の魂のほかに、身近な訴えとして草木や動物の魂があります。草は意外に思われるかもしれませんが、雑草でさえ魂が宿っており、感じる人にとってはむやみやたらに引き抜けない存在です。どれほど多くの存在が魂を持ち、“思い”を抱えているかを考えると、人間はその一部に過ぎません。草の魂は人の魂の一部に組み込まれているとも言われ、その動きに順応する人は、風を感じて立ちすくんだり、日光を浴びて背伸びをしたくなることがあります。こうした動きは無意識のうちに魂の動きを反映したものと考えられます。
このように草にも魂があると認識できれば、草むしりも単なる作業ではなく、生きているものへの敬意を持って行うことができます。草の魂は、自分たちが人間の生活のために除去されることを理解しながらも、何かしらの役割を果たしていることを語っています。
また、木についても、神木とされるものがあるように、木は神霊や精霊が宿る依り代(よりしろ)とされます。特に大きな木を伐る際には、お神酒をかけて一礼するなどの古来の習慣が今も山師に受け継がれています。
《動物種の魂の訴え》
道路でひかれた動物の亡骸を見かけることがあります。その魂はその場に留まったり、霊と一体化して移動したり、人と同じように悪霊化することもあります。私はそうした魂を見かけると瞬時に浄霊浄化を行いますが、「痛い」「許さない」といった強い感情を持つ魂もいます。しかし浄霊浄化が進むと、その記憶は薄れ、魂は高度な視点へと成長していきます。
事故を引き起こそうとする地縛霊化した動物の魂は、事故を誘発させようと人の意識を奪い、正しい判断を鈍らせることがあります。こうした場所には見守り地蔵や注意看板が置かれ、事故防止に努められています。昔は行者と呼ばれる修行者が徒歩でお経を唱えながら、そうした霊を浮遊霊の状態まで引き上げ、災いを未然に防いでいましたが、現在はそのような方が少なくなっています。
《人の魂と動物種の魂の関係》
人の魂の訴えもよく聞きますが、動物の魂の訴えも同様に感じられます。動物の魂は人の魂群の中に組み込まれており、人の意識とは異なる自己中心的な行動が目立つことがあります。そのため、無意識のうちに良心や規律を超えた行動をとることもあります。
こうした魂が騒ぎ、暴れるような状態になると、その人自身が家を飛び出し、周囲に迷惑をかける行動に出ることがあります。しかし、動物種の魂を浄霊浄化で解放することで、心が落ち着き、身体の調整へと進むことが多いです。
このような場合、持ち合わせている魂の中に落ち着かない要素を持つものが多く存在し、簡単に解決できることではありません。大切なのは、中心となる魂をしっかりとした性質の魂に置き換え、魂群の震える状態を安定させることです。これにより、バランスを取りながら魂の状態を改善していきます。
【封印術や浄霊浄化の背景について】
昔、悪霊や死後に災いをもたらす可能性のある魂を御札に封じ込み、小さな石室に納めて土中に埋め、その上に神社や寺院を建立したり、大きな石を置いたりする「封印術」というものがありました。現在も一部でこの封印術は続けられており、その場所で神主や住職が祝詞やお経を唱えることで、封印の力が強まるとされています。
しかし、何百年も続けられてきた封印でも、初回の封印が弱まることがあります。現代では封印の術を知らずに祝詞やお経を唱えていても、石室の蓋が震え、封印された悪霊や荒御魂が力を蓄えて出ようとすることがあります。
このような状況では、石室の上や周辺に住む人、霊感のある方は精神的に不安定になることがあります。封印された存在は、封印をかけた人間の“思い”の波動を追い、現世でその思いを共有する人に影響を及ぼすこともあります。封印が弱まると、封印された側は力を振り絞って出ようとし、苦しみの波動を放ちます。
封印術は、恨みを持って亡くなった方や無残な処分をされた動物、妖怪化した動物の魂などを封じるために用いられてきました。現在では、この封印術を続ける意志力や技術を持つ人が少なくなりましたが、昔は封印をかけた人の魂がその場に残って縛り続けることが当然の時代でした。
私がご相談で行った霊査では、封印をかけられた側と封印を続ける側、それぞれの思いに深い悲哀を感じました。
しかし、魂を持つ巨悪霊や妖怪化した存在も、真の浄霊浄化を受けることで無垢な状態に変えることができます。また、封印術を続けてきた人の魂も、任務の解除を通じて解放し、その場から離れることが可能です。これにより、封印された側も封印した側も安堵し、未練なく高度な視点へと移行します。
こうした浄霊浄化により、現世の私たちも過去の因縁による霊的な影響を受けずに安心して過ごせるようになります。
※本ページの内容は当方の経験と見解に基づくものであり、宗教的・霊的な考え方には個人差があります。医療的・心理的な効果を保証するものではありません。ご不明な点はお気軽にお問い合わせください。
【気功霊能師からみたご供養と浄霊浄化の違い】
記事作成2021,3
《1》
人が亡くなり、お通夜・告別式・焼骨して納骨を済まし、これで故人が成仏したと思う人は沢山いらっしゃいます。
一般的には仏式の場合、お坊さんがお経をお唱えして法要・ご供養をしていれば、それで故人の霊は安まり問題はないとする見方です。
この仕方で霊が安まればいいのですが、霊が安まらない場合は病気のような症状が起きたり、事故怪我が多くなったり、人が変わったようになるなど、通常では考えられないことが起こった時には浄霊を考える必要があると思います。
浄霊は霊魂が現世に付随した状態でたたずんでいたり、動けなくて閉じこもっていたり、人間界への親しみからなかなか離れられない場合に行なうものです。
そうすることで霊魂の状態をクリーンにして、磨かれたような状態にまでしていくことになります。
ご供養の場合は、浄霊とは少し意味合いが変わってきます。
ご供養の場合には霊魂をなぐさめたり、感謝したり、近付いてもてなすようなことも含まれています。
霊魂をお経や祝詞で気持ち良くさせて、安堵させていることに似ています。
僧侶や神職の中には霊的なお役目の強い方がいて、お経や祝詞をあげることでその方自身の霊問題に強い背後霊が動いて、ご供養要素より浄霊要素が高いこともあります。
《2》
ただ浄霊をする方の場合は、背後霊によって浄霊の“中身”が異なります。
“中身”というのは、浄霊をどのようなこととして考えているかによります。
浄霊には主に戦闘型・封じ込め型・防御型・諭し型が見受けられます。
戦闘型と封じ込め型(封印法、結界法)は霊と戦う姿勢をしっかりと示したものになります。
防御型はバリアのようなもので、四方札や守りを主体とした結界法が用いられます。
諭し型は霊と対話して解決へ向けるということになります。
これらは仕方であり、“中身”ではありません。
浄霊の“中身”というのは、仕方によってその後に霊魂がどうなってしまうか、そのことになります。
・戦闘型は霊魂を倒すことが目的です。
・封じ込め型は霊魂の動きを止めることが目的です。
・防御型は霊魂から身を守ることが目的です。
・諭し型は霊魂と話して理解させていくことが目的です。
このように分類してみると、浄霊と称して行なった仕方の後の霊魂にはそれぞれ異なった末路が予定されています。
浄化という意味を考えた場合は、戦闘型・封じ込め型・防御型はどうも違ってくるようです。
諭し型は霊魂と対話して、思いを共有し、現世にしがみつかない思いを理解させるところまでは浄化という意味では近づいています。
ただそこからご供養寄りの発想(お水やお線香やお供物等でお祀りする仕方)になることもあり、この場合は最終的に物質に宿らせることになって浄化はされずに現世に残ることになります。
霊魂の気持ちがよくなることが浄化ではなく、完全にこの世から離れて再び同じような状態で戻ることがなく、先の世界へ進み歩むことが霊魂の浄化のプロセスになります。
《3》
浄霊をしても、この世にしがみついたり、この世から離れてそれでもいつでも人間界に降りてくることができる状態であれば、完全な浄化には至っていないということになります。
映画やドラマの題材で亡くなった方が霊として現れて交流することに人気がありますが、亡くなった方のこれから先の霊としての歩みを考えれば、あまりよいということではありません。
亡くなった方が霊としてまた現れるということはさまよっていることになりますので、一時的に姿を現したとしても、悲しく思えるかもしれませんが、“お互いのために”この世からは去って行ったほうがいいのです。
“お互いのために”と記しました。
この意味は、亡くなった方はこの世から未練を離さなくてはなりません(そのようなルール・法則があります)し、残された方は亡くなった方の想いを持っていたとしても霊にしがみつくことはやめたほうがよいです。
私たち人は、これは霊も同じですが、自立ということが目的として持たされています。
(しがみつき合うということは、自立を遠ざけてしまいます。また自立から反する方向に進むことで自分を苦しめる内心が生じ困ることになっていくようです)
お互いを求め合う中で、愛し合う想いというのはわかります。
しかし、それがいずれ執着を生んだ時、依存という別の思いが出てきます。
依存に発展した場合にはいずれよくない事象を次々と生み出しますので、この流れにもし今理解ができるのであれば、霊を引き寄せるようなことは気をつけたほうがよいでしょう。
身近な方が亡くなってさびしい思いをしている方は、霊としてでも会いたいと思う方は沢山いると思います。
故人の霊に会える方もいると思います。
(霊はいるよ。的な見方を広めるスピリチュアル要素の高いお役目の方はこのようなシチュエーションがあるようです)
ただ多くはこれからのことを考えて、姿を見ることがないようです。
これからのこととは、人として大変だけれども、強く生きていくという、やはり自立に向けたことが関係しているようです。
人として強く生きていた過程は、死後に魂へ反映されて生かされていくようです。
《4》
毎日ご先祖様に向かってお経をお唱えして、お供物をお供えして、お寺で定期的なご供養もしていることで、ご先祖様もご納得して味方となって生活を援護してくださると思う方は非常に多いようです。
おろそかにしてはいけないという敬意と何かあったらいけないというおそれから気をつけていらっしゃる方も少なくないと思います。
ここで不思議に思えることは、ご先祖様方はいつまで私たち末裔の味方・お世話をされるのでしょう。
私が浄霊を通して知ったことは、浄化が済まされて磨かれた魂はこだわりから離れます。
心配といったものがなくなっていきます。
安心というよりは、迷わない状態になっているというのでしょうか、大変落ち着いていて理解力も高まっています。
そのため、末裔の心配や面倒をみるということ自体に関心がなくなります。
しかし、宗教は魂の浄化がどういったものかを考えていないのか、長らくご先祖様にはご供養をして崇め奉り、色々な奉仕を教えています。
本来、魂が磨かれている状態であれば、ご供養も崇め奉ることも奉仕も必要としていません。
浄化されて磨かれた魂はそのことを必要視していないためです。
怒ることも欲しがることも力量の査定をすることもありません。
磨かれた魂の状態は、私たち人から見て安全ということになります。
ですから、従来のご供養の仕方は気にしないようになります。
古くからのやり方をされている浄霊の仕方はその場に御札を置いてお祀りしたり、「形」を残すようにしてきていますが、浄化までされていれば必要のない「形」となってしまいます。
必要のない「形」となってしまった(例えば、祠宮を建立してしまったなど)場合、後々それはどうすればいいかの問題も出てきてしまいます。
それが旧家であるご自宅の場合は屋敷内や敷地内にそのような箇所が幾つも見受けられます。
浄霊浄化をした後には「形」が残らないようにすることが人間にも優しく、霊が迷ってそこに住まないようにすることができるようです。
《5》
ご先祖様を敬う見方は、祖霊を大事にすることに通じますが、ご先祖様や祖霊のお力にあやかろうとするのは故人の霊を現世の私たちに付かず離れずの状態にさせることになり、いつまでも持ちつ持たれつの関係から脱することができないようになるようです。
また、ご先祖様や祖霊を頼りにし続けることは、自立という人の精神の歩みが成熟されないばかりか、しがみつくという成熟とは真逆の流れになってしまうようです。
浄霊を通して知ったことは、霊魂はすべての思いから離れていくことが望ましいようです。
ご先祖様も祖霊も人間はお力になっていただきたいのですが、霊魂本来の歩みとしては私たちの世界から離れて行って新しい世界へ進むことが良いようです。
しかし、故人がお身内ともなれば、すぐさま近くから居なくなってほしくないと思うのが人間の性のようです。
さびしい気持ち・離れたくない気持ち・居なくなってしまうことのつらい気持ちなどが残された人からすれば、故人とのつながりを持つことで気持ちを崩さずにいられるというところもあると思います。
それでも故人の霊魂はこの世を一時期見守った後、現世から離れたところまで移行しようとします。
わかりやすく例えると、故人の霊魂は地上から近い雲上まで上昇して、この世を見守ります。
この段階ではまだこの世に降りることができる近さがあり、未練を完全には離していない状態になります。
そしてさらに上昇して雲より高い位置の天上まで移行します。
この段階から雲上へあえて降りることはあまりないようです。(雲上よりは天上のほうが気持ちよく過ごせるようです)
ここまでが霊的な交信が可能です。
ここから更に魂は次の段階へ移行していきます。
この状態になると浄霊浄化が完全にされている時であり、これ以降は霊的な交信はほぼできなくなります。
生前の思いからはずいぶんと変わり、人間的な要素(情といった部分)は薄くなり、それでいて落ち着きはらっています。
遺族の方や残された方からすれば、「何であなたはそんなに冷静で居られるの?私たちはさびしいよ」と故人の魂の状態にやや複雑な思いをされてしまうようです。
人間としてはさびしさがあるかもしれませんが、魂としては望ましい移行に入っていますから、故人の状態を安心していただいていいということになります。
故人が安心していいということになれば、故人を想う遺族の方の気持ちは落ち着いてきます。
【不思議な体験:タカオカミ(龍神)について】
記事作成2019,5
タカオカミという名は聞いたことがありますでしょうか。
高龗
漢字でこのように書きます。(高いという漢字の後の文字がオカミという漢字です)
神社の祭神名で目にすることがあると思います。
このタカオカミについて不思議な体験をしたことを記したいと思います。
関東に住むあるご相談者からこのようなお知らせをメールにていただきました。
夢を見られたらしいのです。
その内容は、森か、山の中なのか、木々が生い茂っているところで、男性が木々に囲まれた細い下り坂をおりて、その先の何軒かある古びた家へそのご相談者を誘う感じでいたようです。
下り坂の道の先は薄暗くて気味がわるい感じで、夢の中でご相談者は誘いに乗らずに行かなかったそうです。
その古びた家は人が住んでいるのかわからないくらいの家だそうです。
ご相談者をその古びた家に呼ぼうとした男性は一言も言葉を発しなかったそうです。
男性の見た目は、白髪まじりの少し長髪のおじさんとのことでした。
この夢の内容をメールで拝見した時に、私も一瞬シンクロしたようになって情景が少し見えたのです。
それは草がぼうぼうで家は廃墟のような感じでした。
ご相談者の説明では、坂道の入り口がわかりづらく、狭い坂道の両脇には草や木々でおおわれていて、トンネルのようになっていてその先に家がある感じとのことでした。
忘れ去られた所であり、見つけるのが難しそうな場所と思われたようです。
目印も特になく見当たらない、とメールに記されていました。
このメール内容を拝見してからしばらくした後、霊的な声が聞こえてきました。
『わしはタカオカミ(山の頂上に住む龍)。かつてはその地にわしを祀る宮があった。しかし、その宮は守る者が居なくなり、その場所にとどまることができなくなった。そこから山を下り、里までくだり、ある家の社(やしろ)の中に身を寄せた。その宮は朽ち、今は何も無い草むらとなっている』
『わしを救いにきてほしい。その地に足を踏み入れなければ、わしの居る場所がわからない』
この声にイメージが付き、私はそのイメージの動く絵を見ていました。
“独りの男性が山の頂上から降りてきて、道を下り、やがて里の近くのとある民家に入りました。
その民家の敷地に木でできた御宮があり、そこへ鞍替えするように入った感じがしました。
その民家はすで人が住んでおらず、その御宮自体もお祀りする人がいなかったのです。
やがて御宮は崩れてタカオカミ自体が住める場所がなくなったような状態になりました。
そして今日までそこから動かず、じっとその場で、自分の想いを通じ合わせる人を待っていました”
ご相談者からは、西日本にある気になる地名を伝えられていました。
その地名がすごく気になるとのことでした。
私はその地名の場所を調べました。
そこは島であって高い山もありました。
私はその島の一番高い山に目を付け、タカオカミと交信を試みました。
すると、タカオカミよりこのようなことを告げられました。
『山の頂上まで来るように。そこに立てばわかる』
私はこのことをご相談者へ伝えました。
ご相談者はご自分でみた夢の内容と私が体感した内容を照らし合わせ、夢に見られた内容は単なる記憶のつなぎあわせで起きていることではないと思われたようです。
またご相談者はこの夢で知った内容は、ご自分のこの世においての霊的なミッションの一つと位置づけられましたようで、現地へ私を向かわせてその山の龍であるタカオカミの浄霊浄化をご依頼されたのです。
(この他にもその島内では浄霊浄化する必要のある場所が幾つかあり、そのことにご相談者の持つ魂の一部が関係して、体調がすぐれないことともつながっていました)
私はタカオカミからは、このようなことを告げられていました。
『(わしは)人ではない。人の姿を見せることであやしく思うものが少ない。人間に龍という姿を見せれば、こわくなるものだ』
タカオカミは夢の中であえて男性の姿に変化して、極力こわがらせないようにして、尚かつ気にかかるようにもしていたようです。
そのご相談者にどうしてタカオカミがそのような夢を見させたのかですが、このようなことを告げられて知りました。
タカオカミいわく、ご相談者の魂の一部にタカオカミをかつてその地でお祀りされていた方がいるからということでその波動を感じて自分の姿を見させたということでした。
それから私はご相談者から正式にご依頼をいただいて、その島内で一番高い山へ登ることにしたのです。
そして巡行の計画を立て、その予定どおりに島へ渡りました。
着いてすぐ、車を使い、島内で一番高い山を目指しました。
山の頂上に向かいますとそこには御宮がありました。
しかし、タカオカミからはそこは自分のいる場所とは違うという交信がきました。
タカオカミからは今自分がいる所は説明できないが、(私が)山頂から里をのぞいた時にみえる街まで降りてくるように言われました。
そこで私は山頂から見える街をながめました。
見える街は一つしかなく、そこに下るしかないと思ったのです。
大体の場所に目星をつけ、ほぼ海の近くまで車で降りていくことにしました。
山頂から下りきる前からタカオカミの波動が強まりました。
海近くの場所まで到着すると、急にソワソワし出して、頭も痛くなり、私はその場で車を停めました。
私は頭がクラクラして、気持ちのソワソワも止まらず、「もしやこの辺りでは?」と思い、携帯電話の地図アプリを使って現在位置を確認しました。
するとタカオカミからの呼ぶ想いの波動が最も強い場所が近くにあり、車を停めた場所からその位置をながめました。
そこは丁度、山側を望むような感じでそこだけ木がうっそうと茂っていたのです。
私がいた位置からは少し高台で、あそこで間違いない。と思った瞬間、その場所からブワーっと強烈な波動が解き放たれました。
一瞬で大きなエネルギーがなくなるイメージです。
人の感じ方によっては、天に昇ったと思われることでしょう。
私がタカオカミのいる場所を特定した瞬間にタカオカミの魂は解放(浄霊浄化)されたようです。
(このようなことはよくあることですが、私の思いとは別に私の代わりで動いている龍王などが龍の仲間のタカオカミの魂を解放させたようです)
私の体調不全も一瞬でその場でなくなり消えました。
タカオカミの波動を強く感じた位置を地図アプリで拡大すると、そこには木がうっそうと茂っていて廃屋となった家があり、私が目に浮かんだイメージに近い場所がありました。
また、そこは私有地と思われたので、敷地外の道路から遠目でながめる格好となりました。
私は現地でその場所の写真撮影と地図アプリでの位置をスクリーンショットで画像撮影し、ご相談者にメールにてお知らせしたところ、夢でみた内容に近いということで驚かれていました。
それから後、そのご相談者の体調は改善し、夢に出てきたタカオカミが変化した男性とその島の名を強く思うようなことはなくなったとのことです。
この度の龍は、龍神自体が様々にいるので単に龍神と名乗らずに、タカオカミと名乗ることで山の頂上に住む龍ということを知らせるかたちを取り、そこから自分の居場所まで詮索しやすいように(導きやすいように)したのだと思いました。
かつて(かなり古い時代)その山頂でタカオカミはある僧侶のような行者からその山を守る神としてお祀りされたようです。
僧侶のような行者はタカオカミの波動を感知し、山頂にその神を祭ろうと思われたのでしょう。
形としてお祀り場を設け、その山頂を訪れるたびに御宮を通してお祈りをしていたようです。
やがて僧侶のような行者はいなくなり(亡くなり)、その山頂へ登るものもあまりいなかったようです。
そして時は経ち、山頂にお祀りされていた御宮は風化して形として残ることが難しくなりました。
タカオカミとしてはついにその場所にはいられなくなり、自ら里まで下りて、その身をとどめられる所がないかと探したところ、民家の敷地内にあった御宮に目を付けて入ったそうです。
しかし、民家には人もおらず御宮を守るものがいないため、やがてそこも風化して崩れてしまったようです。
タカオカミとしては、そこから動かずジッと身を構えていたみたいです。
本来、姿かたちのないタカオカミですが、僧侶のような行者から御宮を設けられてお祀りされることで段々と御宮という居心地の良い空間にいることが当たり前となって、山の頂上にいても何かに身を留めるようなこともなくいたことがいつの間にかにお祀りされることのほうが嬉しく思い、つい形あるものに身を留めるようなことを思うようになってしまったようです。
この度のタカオカミという龍神は、人に触れて、人の感性に感化されて、人の思いに近い過ごし方をしていたようです。
ご相談者の霊的ミッションに沿った土地家屋の清めといった内容での出張で行なった内容です。
【一宗教組織の成り立ち(裏事情)】
記事作成2019,5
今回の内容は、記すことをやめていたものです。
私にとってショックなことでしたし、自分自身も気をつけなければいけない誤解を受けるようなことであるからです。
この内容を知ったのは今から6年以上前のことでしょうか。
今ではこの内容が当たり前に起きていることがわかっています。
*****
ある霊能者(A)がいたとします。
その霊能者(A)は、霊能者とは名乗りません。
ただ、苦しんでいる人を助ける意味合いで、治療という名目で、人の悩みなどを聞いていました。
どこに行ってもよくならない人がその霊能者(A)を訪ねてきました。
そしてそこで奇跡が起き、病気が治ったり、状況がよくなったり、症状状態が良好に改善したり、その噂は口コミで広がりました。
生き神様として崇めだす人まで出てきました。
そして、病気や状況がよくなった人たちから持ち上げられるようにして、その霊能者(A)は組織をつくり、会を定めました。
やがてその会は大きくなり、法人として定めるようにしました。
新しい宗教法人として立ち上がり、霊能者(A)は教祖として崇められるようになりました。
私はなぜかこの実態の裏事情を、とある宗教組織をつくらせた様々な霊魂と、神としてその宗教組織の教祖「霊能者(A)」に指示していた宇宙にいる高度文明の意識生命体と霊的交信・チャネリングを通して知らされました。
すべてが仕組まれたものだと知らされたのです。
どういうことかと言いますと、とある霊能者(A)は、ある時、ある場所で、神とする存在から啓示を受けたとされました。
その神とする存在が宇宙にいる高度文明の意識生命体で、「自分たちの都合のよい人間をはびこらせるためにその教えを説いてきた」と聞かされました。
霊能者(A)には、力は無く、ただ宇宙にいる高度文明の意識生命体の息がかかった人の霊魂を使って、例えば日本であれば、全国中にそれらの霊魂が無作為で人にとり憑き、具合をわるくさせて、そして手引きするようにして、人の意識をコントロールし、とある霊能者(A)のところまで結びつかせることをしてきたと聞かされたのです。
そんなことがあるのだろうか!?と、私は知らされた当初思っていました。
そうしているうち、しばらくして、あるご相談者に憑くものが行者の霊魂と判明した時に、その行者の霊魂から「同じことをしている仲間を救ってほしい」と言われました。
どういうことかと言いますと、その行者の霊魂は、自分の師匠である大行者(の霊魂)から「誰かに憑いて具合をわるくさせ、ここまで連れて来い」と命令されたとのことで、大行者(の霊魂)の弟子が他にもいて、自分と同じようなことしているから、その仕組みを断って自分たちをこの場(次元)から救って(浄霊浄化)ほしいと願っていたのです。
大行者の霊魂が憑く人間の所まで、憑いた人間を誘導して連れて行き、大行者の霊魂が憑いた人間による浄霊であたかも霊障解消ということになりますが、その実態は大行者(の霊魂)の弟子(の霊魂)が人間からパッと離れることで霊障とされる具合がよくなり、またしばらくしてその弟子の霊魂が憑くことで違う霊障を発症させて、また大行者の霊魂が憑く人間の所まで運ぶという図式が成り立っているとのことでした。
この話の内容に、神とする存在で宇宙にいる高度文明の意識生命体から知らされた内容と似ているではないかと思ったのです。
いわゆる、人々をコントロールする霊魂(主)などがいて、その霊魂(主)などから配下のようなかたちで従う霊魂(従者)がいて、それらが人心を掌握したいため、憑いて霊障を起こし、霊障を解消する人間まで連れていくような格好をとり、やがてピラミッドのような組織形態をつくり上げて、一つのメガコミュニティーを目論む仕組みになっているということのようなのです。
例えばこのようなこともあります。
全く知らない霊能者またはそのような人たち同士の意見・見解が合ったとしても、それは一般的に見れば、間違いないような見方にとれますが、場合によっては、人間としての霊能者同士は知らなくても、その霊能者たちに憑いている存在(その霊能者が指示を受けているもの。手引きしている霊魂。その霊能者が守護霊や高次元と称している存在も含めて)が知っているもの同士であるなら、幾らでも霊能者に伝える意見・見解・霊視にしても合わせることができるわけで、相談者は「あっちでもこう言われた。こっちでもこう言われた。だから合っているから、これは本当のことだ」とする巧みな仕掛けに惑わされて、負のスパイラルから逃れさせないようにすることは可能ですし、実際にこのようなことの裏事情は起きています。
このような内容で、宗教の成り立ちが関係しているとも聞かされています。
だとするなら、これはとてもショックなことと思わざるを得ません。
あえて私のような存在にこのような仕組みの中身を知らせたのは、宗教も今後最も大きな変革の時期がやって来るのかもしれません。
宗教組織をつくらせ、世界中にコミュニティーをつくったとしても、コントロールしたい存在からすれば、信仰を持たせることで手っ取り早いと思うマインドコントロールが行なえる宗教でも、何かが足りないと思うものでもあったのでしょうか。
宗教ではない信仰する代わりのものが見つかったのか(例えばSNS)、もしくは宇宙時間と申しますか、時期的にそれらのことの仕掛けを運用することが難しくなってきたのでしょうか。
私自身は、この内容を知って、私がこの仕事を通して人をコントロールする立場になっていないか、とても心配になりました。
まさか、自分が他人をコントロールする立場を担っているとはこのような仕事を真面目にしている人であれば、思うこともないと思います。
私の場合はこの知らせがこの仕事をする意味での教えとして、また教訓として、人間的にご相談者に依存はしない・させない立ち位置でご相談を受けなければいけないと改めて思いました。
*****
このような見えない霊魂などの存在からの仕組みが私たち人間にもたらされていることがとてもこわくは思います。
しかし、守られていることも事実あると思っています。
コントロールしたい存在よりも、もっともっと大きく広い存在、世界、はたまた上手いような表現方法がわかりませんが、状況がよくないにしても確かに守られていることはわかっています。(そのようなことも事実起きています)
ただおそれているばかりでは、身を縮みこませて気持ちはなえていくばかりなので、守られていることもしっかりと認識していければ良いと思っています。